2013年06月28日

第143回らくわ健康教室「痛みとの戦い 〜麻酔科医のあゆみ〜」

4月25日に開催されたらくわ健康教室では、「痛みとの戦い 〜麻酔科医のあゆみ〜」と題して、洛和会丸太町病院 麻酔科 部長で、医師の井本 眞帆(いもと まほ)が講演しました。


概要は以下のとおりです。

 
1379はじめに
すべての医療者は、患者さまを痛み・苦しみから救いたいと願っています。なかでも麻酔科医は、痛みを和らげるための専門的な知識と、特殊な技術をもっています。
それでも、痛みとの戦いにおいて勝ちはなく、ゴールも見えません。医療者は患者さまの訴えに耳を傾け、患者さまがうまく痛みと付き合っていけるよう、痛みを和らげる努力を重ねています。今回は、洋の東西を超えて、古来から続いてきた痛みとの戦いを振り返ります。

痛みの捉え方
西洋人の場合・・・
古代エジプト人は「死人の悪霊が神から送られて、体の開口部、特に鼻孔から体内に入ると痛みを生じる」と考えていました。
バビロニア人は、「痛みを伴う病気はすべて罪の報いで、悪意あるいは魔神の呪い」と見なしていました。西洋人は、この考え方を受け継ぎ、古くから、体の痛みは人間の罪に対する神の罰であるとして捉えていました。西洋の「痛み」を表す言葉は、語源的に「罪に対する罰」の意味を有しています。

これに対し日本では・・・
日本語の「痛み」には、罪の意味は含まれていません。名詞の「痛み」は、副詞「いと」(「いとおかし」の「いと」)などと同じ語源をもち、程度の激しさを表す「いた」から出たものです。「痛」という漢字の成り立ちは、「やまいだれ」が意味する病気と、「突き通る」の意味をもつ「甬(つう)」を合わせたもの。つまり、「突き通るように痛む」という意味です。

痛みとは何か?
痛みの正体を捉えるために、いろいろな分類が試みられています。

  1. 痛みの原因による分類(侵害受容性痛、神経因性痛、心因性痛)
  2. 発生部位による分類(体性痛、内臓痛、中枢痛)
  3. 急性痛と慢性痛
  4. そのほかの分類(速い痛みと遅い痛み、自発痛と誘発痛、麻薬への反応性による分類など)

最近は、「トータルペイン」という見方もされています。
※以下の画像は全て、クリックすると大きいサイズで見ることができます。

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鎮痛と麻酔の歴史

紀元前30世紀ごろのメソポタミア文明、バビロニアのシュメール人の粘土板に、芥子(けし)ヒヨスマンドレークなどのナス科の植物を歯痛や手術の痛みを抑えるために用いたという記録があります。同じころ、アッシリア人は、頸動脈を圧迫して、意識を失わせてから手術を行っていました。この方法は古代ギリシャでも行われていました。現代に受け継がれているのは、シュメール人の用いた方法です。

<古代エジプト>
古代エジプト(紀元前1550年ごろ)では、鎮痛や睡眠のためにアヘンを広く用いていました。

<南米>
南米では、紀元前1200年ごろから、頭蓋穿孔術が行われ、慢性硬膜下血腫の治療などが行われていました。(ミイラが証明) キニーネコカの葉などの薬草で麻酔をして、頭を縄で縛って出血を抑え、ツミ(ナイフ)や黒曜石などの尖頭器具を用いて穴を開けたと考えられています。

<古代ギリシャ>
紀元前13世紀の古代ギリシャでは、アスクレピオスが鎮痛と睡眠作用のあるアヘンを患者に与えて、無痛で手術を行っていました。彼の息子のマカオンとポダレイリオスは外科医と内科医との守護神となり、娘のヒュゲイアとパナケアは健康と薬の女神となりました。
古代ギリシャの医聖ヒポクラテス(紀元前5世紀)は、「医術とは、病気による痛みや苦痛を取り除き、病気の勢いを鎮め、病気に負けた人を救うことである」と定義しました。マンドレークの効果については、「意気消沈を軽減する」と記述していました。

<古代ローマ>
ネロ皇帝の軍医だったペダニウス・ディオスコリデスは「薬物誌」を著し、「薬物学の祖」と呼ばれています。薬物誌のなかで、「感覚の喪失」として、anaesthesiaという用語を使っています。これが英語の「麻酔」となり、今日でも使われています。

<中国>
中国では、漢末(紀元2世紀)の医師の華陀(かだ)が、世界で初めて、麻酔を用いた開胸手術や頭蓋切開を行ったと言われています。

<日本>
全身麻酔手術の実例として証明されているなかでは、日本の華岡青洲(はなおかせいしゅう)が行った手術が、世界最古といわれています。華岡青洲は、江戸時代の外科医で、実母と妻の協力(人体実験)と犠牲のうえに、全身麻酔薬「通仙散」(別名「麻沸散」)を完成させ、世界で初めて、麻酔を用いた手術(乳がん手術)を成功させました。

ルネッサンス期以降、欧州を中心に、現代の麻酔科学の基礎となる重要な発見や発明が相次ぎました。エーテルが合成され、その催眠作用が発見されました。17世紀には静脈注射が発明され、アヘンの静脈注射や輸血が行われました。18世紀後半には酸素、炭酸ガス、窒素、笑気(亜酸化窒素)が発見されました。19世紀初頭にアヘンからモルヒネが抽出されました。19世紀は、外科手術患者に対する全身麻酔法の臨床応用の時代となりました。

近代麻酔科学の始まり
1846年、マサチューセッツ総合病院でモートンが、少年の頸部腫瘍摘出の際にエーテルによる全身麻酔に成功し、以来、吸入麻酔法が急激な普及・発展を遂げました。
1847年には、英国のシンプソンがクロロホルムの麻酔作用を研究し、全身麻酔薬として臨床に応用しました。19世紀末に経口的気管内挿管法が開発され、20世紀に入って全身麻酔の気道確保に用いられました。1956年ハロセンが合成され、不燃性かつ副作用の少ない吸入麻酔薬の時代を切り開きました。

局所麻酔法と硬膜外麻酔法の発達
1860年ニーマンによってコカインが精製され、その局所麻酔作用が報告されました。
19世紀末には、コカインによる局所浸潤麻酔が普及し、その後、神経ブロック、さらには脊椎麻酔が臨床に応用されました。

局所麻酔法の一種である硬膜外麻酔法は、1950年ごろから一般外科手術の麻酔法として普及し、1965年ハロセンの肝障害が問題になり、急速に普及しました。
19世紀前半には、催眠術を用いて外科手術を行う試みが、ある程度成功しました。1970年代には、中国のはり麻酔が注目をあび、各国で盛んに応用が試みられました。

現代の麻酔科医の役割
麻酔科医は、手術中の麻酔管理のみならず、手術前後の患者さまの全身状態を良好に維持・管理するために細心の注意を払って診療を行う専門医です。

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集中治療やペインクリニック、緩和医療の分野でも、麻酔科医が活躍しており、神経ブロック療法やオピオイド(医療用麻薬)、鎮痛補助薬を用いて痛みを和らげます。

2014年1月 洛和会丸太町病院 移転開設予定
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新病院への移転後に、京都府立医科大学のバックアップで「ペインクリニック」を開始する予定です。(緩和医療は、洛和会音羽病院で行っています)

質疑応答より
Q:画像診断のように、痛みを客観的に診断することはできないのですか?
A:ある程度はわかりますが、痛みというのはすごく主観的なもので、同じけがでも、人によって痛みの感じ方が違います。例えば同じ人でも、「10」と感じていた痛みが薬で「5」になったとしても、その状態が続くと、以前は「5」と感じていた同じ痛みを、また「10」という設定に戻してしまう場合があります。検査で痛みを定量的に図ることはできません。それが痛みを治療する難しさです。

Q:画期的な医療用麻薬は開発されていますか?
A:「モルヒネの何倍」というような評価はありますが、基本的な点では、大きな変化はありません。


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